美味しい近江牛の歴史 歴史を知ってもっと美味しく
日本で最も古いブランド近江牛
日本の食肉の歴史は複雑で、時代時代で食べられていたり、食べてはいけないものであったりしました。
江戸時代は獣肉食文化は幕末までありませんでした。
しかし、昔から一部の愛好家には珍重される食文化でもあったのです。
400年以上前、豊臣秀吉が天下を統一した小田原攻めの時、秀吉の部下であった髙山右近という武将が
仲間の蒲生氏郷や細川忠興に牛肉を振舞ったとされています。
髙山右近はキリシタン大名として有名ですね。だから外国人との交流もあり普段から牛肉食の習慣が
あったのでしょう。
江戸時代になると肉食文化は廃れます。
獣肉は汚らわしいものとされます。
しかし、一部には愛好家がいました。
当時近江彦根では、牛肉の味噌漬けで「反本丸」(へんぽんがん)という、漢方薬膳の一種として売られていました。
当時は表立って牛肉は食べれなかったので、漢方の薬膳ということにしたのでしょう。
徳川将軍にも献上されており、将軍も近江牛を食していたようです。
滋養強壮によいとされ武士の世界でもファンが沢山いました。
近江牛はそういう意味で400年以上の由緒正しい歴史があるといわれています。
最後の将軍、徳川慶喜の父で水戸黄門とも呼ばれた、徳川斉昭は牛肉の大ファンだったようで、
彦根の井伊家から牛肉を送ってもらった時の感謝状も残っています。
後に大老に就任する井伊直弼から頑固な鎖国主義者の徳川斉昭は謹慎させられちゃうのですが・・・・
神戸牛だった近江牛
一体なんのこと?とお思いでしょう。
神戸牛が近江牛?
実は明治になり、船便でも物流が活性化し近江牛も神戸港から東京へ出荷されるようになりました。
当時は出荷する港=ブランドという常識があり、従って近江の牛が神戸港から出荷されると
「神戸牛」になっていたようです。
神戸牛というブランドが発展したのは、実はそういう背景もあったのです。
明治22年に東海道本線が開通すると、陸路で近江の牛が東京に出荷されるようになり
ようやく「近江牛」ブランドが定着しました。
大正時代から始まる肉牛の品評会で、近江牛は軒並み上位にランキングされるようになり、その
品質の高さが照明されます。
ときは下り、平17年に近江牛の定義が固まり、様々なブランド維持のための品質管理体制がスタートします。
近江牛の特徴
近江牛は日本三大和牛の一つに数えられ、とても品位の高いブランドなのですが、あまりPRが上手くありません。
他の松坂牛、神戸牛などはとてもうまくブランディングをして高級路線のお肉となっています。
もともと、近江牛の血統の元祖は但馬産の黒毛和牛です。実は松坂牛も神戸牛も同じ血統なのです
価格的には近江牛が一番安いのです。
味的には松坂、神戸に負けていないのですが単純にブランディングの差が価格の差になっています。
安くて美味しい肉が買えるという点では、消費者にとってプラスではあります。
「肉質はきめ細かく、脂は甘くて、口の中でとろけるほどおいしい」とされる近江牛
名店とされるレストランのシェフたちからも愛されています。
近江牛をご自宅に、贈り物に
400年の歴史があり、有名シェフ達からも愛される近江牛を是非ご自宅で
また贈り物にも最適な商品を取り揃えています。